deshitabi

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エドウィナ・ホール × 雛人形

オーストリア出身のファッションデザイナー・エドウィナ・ホールは、ある新聞紙を裂き、それをまるめてクシャクシャにして、テーブルの上に広げてシワを伸ばしてみた。

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「この新聞には、glück(独語:喜び)にまつわる物語が書かれているの。私のコレクションのテーマだったのよ」と彼女は言う。「この新聞紙を人形の着物の襲(かさね)のひとつに織り込んでみようと思ったの」と続いた。

コンテンポラリーなラインナップかつ前衛的なコンセプトを打ち出すことでも知られるファッションデザイナーが、伝統的な雛人形をつくり出している何代も続く日本の工房に入って、人形について深く考えることは日常茶飯事ではない。

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しかし、この問いかけはデザイナーと職人の三日間に及ぶ深い対話へと発展し、その間にエドウィナは、日本で知られている「弟子と親方」という関係のうちに現代性を見出すこととなった。「幸福」について考え、伝統を深め、さらにはジェンダーについての力学を学ぶだけでなく、素材の進化に至るまで、「弟子入り」修行が新しい視座を見いださせ、最終的にはエドウィナにしか作れない、彼女ならではの雛人形を完成させたからだ。

DESHITABI体験は、エドウィナが日本の伝統色について学ぶことから始まった。親方の息子にあたる望月琢矢さんは、季節の色袷(いろあわせ)についての分厚いカタログを見せながら説明した。人形は通常何枚もの着物を重ねあわせた衣裳(=十二単)を身につけるので、色のニュアンスがとても重要だと強調する。

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続いて、エドウィナは二階にあがり、雛人形づくりの工房で実際の作業を始める。最初の仕事は人形の衣装にする六種類ほどの生地を選ぶこと。何百もある生地ストックを丹念に見たあと、エドウィナもカバンから自身のファッションコレクションで制作した布地を引っ張り出した。インドの手紡ぎのカディや、インディゴで染めたコットンまでさまざまだ。

もっとも工房の職人たちを驚かせたのは、恐らく、新聞紙などの印刷物の繊維の強度を増すために、紙をまるめて伸ばしてみせたことだろう。「コレクションをつくる傍らで、コレクションのテーマを追求し、理解を深めるためにいつもこのような印刷物をつくるのです」と彼女は説明する。「人形の衣装に、テキストや写真を用いてみたかったのです。紙は人形の歴史物語を映すものとして表れてきます。そして、幸福に関するテキストが、そのまま雛人形のあり方にフィットすると思いました。なぜなら、みなさんの説明によれば、雛人形は幸運と幸福をもたらすと言われてきたからです。」

“伝統として残っているのは、変化をしてきた証でもある。”

さらに彼女は言った。「幸せというのは一瞬、本当に刹那です。連続性のあるものではありません。私は、雛人形を通じてそういったアイデアを表現してみることが面白いと思ったのです。」

エドウィナが最後に選んだ布地は、ギリシャの島の様子が描かれたテキスタイルと、東北地方の手織りの柿渋染と黄色いレースだった。下着の襲(かさね)には、左京にあった空色のシルクを選んだ。

こうして午後の日差しが静かなワークショップを包み込む頃、数時間をかけてエドウィナは紙の土台に布地を締め付け、布の切断の準備を迎えた。

「私は普段洋服をデザインしているけれど、今回は選んだものがどのような意味を持つか、異なる襲(かさね)が一緒になったときにどのように見えるかはただ漠然と想像することしかできなかった」とエドウィナは言う。

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“海外の旅行者が日本に来たときに、このように伝統工芸の世界にどっぷり飛び込むことができる体験はとても貴重だと思う。それに、親方と他の職人さんともとても密な時間を過ごしてアイデアを交わすなんて本当に楽しかったね。普通ならツーリストには経験できないことだから。”

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その次の日、エドウィナは人形づくりの仕事に臨んだ。三時間深く集中し、糊と針を使って藁と紙でできた首なしのボディに衣装をつけて組み立てていった。

「着物の襟をたった1ー2ミリの差で正確に襲(かさね)にして、胸元で袷(あわせ)をつくっていく作業はとても難しかった」と思い巡らす。

それでも一番む難しい工程は最後にやってきた。「振り付け」と呼ばれる重要なプロセスで、親方の望月和人の仕事でもある。腕と肩をあるポジションに曲げて固定し、人形に命を宿す極めて重要かつ卓越した技のいる仕事であった。これは、かねてより親方の個性が発揮される部分である。

最終日、エドウィナは学んだすべての技術を自分のオリジナル人形に活かした。すべての過程を経て、エドウィナはとても流麗に一つひとつのステップを踏んでいく。そうして彼女のつくる現代の雛人形が命をともした。

さて、その結果は? 伝統的な襲(かさね)に身を包んだ丹念な技術の上に仕上がった人形ながら、現代性を帯びた作品ができた。ところどころに文字の書かれた紙が見え、右肩の袖の端には「glück(独語:喜び)」の文字が。そして、腕には明るいギリシャ島の風景が広がり、背には光り輝く黄色のレースが配される。

この体験はエドウィナにとって実りのあるものだっただけではなく、左京にとっても、文字の書かれた紙やレースなどを雛人形に活用することは初めてだ。それでも、斬新かつ先端的美とは裏腹に、予期せぬ調和があった。重要なのは、伝統とは、代を経るごとに培われた進化への欲を熱源とするイノベーションによって、初めて持続性を有するということなのだ。

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「親方は、伝統の世界においても、変化は定期的に訪れるものだと言っていた」とエドウィナは語る。伝統として残っているのは、変化をしてきた証でもある。

本当のところ、エドウィナは、はじめは現代における雛人形の役割に関して懐疑的であったが、この体験によって、宝物としてはぐくまれる工芸を愛でる気持ちが芽生えたことを認めている。

「かなり長い間日本で暮らしているけれど、この経験を通してもっともっと深く日本文化について理解したわ」とエドウィナは言う。「海外の旅行者が日本に来たときに、このように伝統工芸の世界にどっぷり飛び込むことができる体験はとても貴重だと思う。それに、親方と他の職人さんともとても密な時間を過ごしてアイデアを交わすなんて本当に楽しかったね。普通ならツーリストには経験できないことだから。」

エドウィナ・ホール
プロフィール

オーストリア・ザルツブルグ生まれ。1990年にオーストリア文化省による実験ファッションデザイン賞の初めての受賞者となる。特別支援教育の修士号を持ちながら、ファッションデザインを独学する。1991年から1993年までYohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)で勤務後、1996年にウィーンで自身の名を冠したユニセックスのファッションレーベルを立ち上げる。2000年に東京に拠点を移し、現在に至る。
http://www.edwinahoerl.com/
https://www.instagram.com/edwina_horl/

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